2005
【VOL.103(1月号)雑感】
 2004年度は、天と地の異変が多い年であった。10個の台風上陸、人里への熊の出没、新潟県中越地震、年も押し迫ったスマトラ沖地震など、「天変地異」は、記憶に新しいところである。よく「天・地・人」というが、この「人」の話題も「オレオレ詐欺(後に振り込め詐欺となる)」が、相変わらず世間の人を騙し、世間の人が騙された。子供の犠牲も多く、命を命と思わない人物が、紙上を賑わした。子供が子供を殺す事件にも驚いた。「本当に悪魔のような国です」、拉致被害者の言葉であるが、その心情たるや身を切られる思いであり、「チョー頭に来る国」であることはまちがいない。年は変っても、忘れてはならない問題である。「経済制裁やむなし」。もうこうなったら「気合だ、気合だ、気合だーア」「負け犬になるな!」「・・って言うじゃない」「残念!」。世の中、本当に「サプライズ」ばかりであった。
2004年スポーツ界は、アテネオリンピック一色であった。「チョー気持ちいい」メダルラッシュであった。四文字熟語では「超気持泳」であった。暗い世相の中、スポーツの果たす役割は大きい。どこかの標語に、「スポーツは、若く、明るく、たくましく」というのがあったが、正にスポーツは、天と地と人をつなぐ「架け橋」であった。「スポーツ漫画」が復活していると聞くが、昔の「根性もの」から「純愛もの」に変化していると言う。「純愛」と言えば、やはり「冬のソナタ」であった。「様様様様」と、様を四つ書いて「ヨン様」と言うらしいが、とにかく「韓流ブーム」が、日本の「おば様」達のパワーに火をつけた。
「男性」から見れば「ヨン様、何様?」であるが、「女性」にとっては四人ほどの「イケメン男優」に、自らを主人公にして「青春時代の純愛ストーリー」にだぶらせている感がするのである。涙なくして語れなかった、かつての古くは「君の名は」であり、「愛と死を見つめて」であり、「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」であった。「大切な人と泣いて下さい」。「一途に一人の人を愛しぬいていく」愛することの切なさであり、愛することの厳しさである。しかも周囲の人々を思いやるがゆえに自分たちも苦しむこの「純粋さ」に「泣ける」のである。現代社会には、この「ひたむきさ」「純粋さ」が、欠けているのではないか。ここまで来ると「冬ソナ病」である。今年もこの熱風は、収まりそうもない。変りやすいのが男心(おとこごころ)、わかりにくいのが女心(おんなごころ)。中年女性のパワーたるや、恐るべし!
我もまた「ヨン様ヘアスタイル」に、整えてみようか、と思いきや、【床屋行く ヒマ、金あれど 髪がない】のである。「ペ・40」「チェ・10」これがわかれば、「冬ソナ通」である。今年は「ペ」から「ピ」なる人物に人気が移るとか。そのうち「プ」となるか(へー)。「新規参入」も話題になった。「楽天」が「逆転」勝ちであった。「ダイエー」は「ソン」をしたが、「孫」さんは、「得」をしたか。昔の人はうまいことを言ったものである。【商売は、損(ソン)して得(トク)とれ】と。
それにしても、まさかあのような津波被害がおきるとは、予想だにしなかった。やはり恐ろしいものの筆頭は、地震であった。阪神淡路大震災から十年目を迎えたが、先の新潟県中越地震といい、スマトラ沖地震といい、地震は、世界中の人々の生命財産を奪う『悪魔の使者』であった。「備えよ常に」である。
最悪のケースを予測し、最大限の努力をして、最小の被害にくい止めたいものである。人類は、宇宙開発から遺伝子操作に至るまで、マクロからミクロの世界まで次々と明らかにして来たが、この自然へのおそれ敬う事を忘れてしまっていたようである。
『天才と人災は、紙一重』である。そう言えば「いい人」と「どうでもいい人」も、紙一重であり、「セクハラとスキンシップも紙一重」だった。
時代は変った。文明の利器の発達により、中学生が偽札を作る時代になった。作って楽しんでいるうち使ってみたくなり、罪の意識が薄れ、犯罪者となった。ニセ札事件である。福沢諭吉も、寂しそうで迷惑な顔をして見えた。「世の中で一番寂しいことは、ニセ札を作ることです」と言ったかどうか。2005年の幕開けの話題が、「ニセ札事件」とは、今年も「日本丸」の船出は、波高しである。携帯電話も進化した。昔は、首にかけるものは、お守りであったが、今や携帯電話である。通勤の車中は、さながらケータイの見本市。きれいな女の子が打つメールの指先に見とれ、電車を乗り過ごす人もいたとか。「指キタス」「ユビキタス」「支障キタス」。
子供たちの犯罪が増えている。親の責任である。「親の背中を見て、子は育つ」と言うが、自らを戒めなければと思う。それにしても教育とは、厄介なものである。「今日行く?」ではない。教え、育むことであるが、この「育む」ことが大変で、努力と忍耐と根気と勇気がいるのである。教育とは共育であり、共に学び、共に育っていくことが大切である。
【やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ】(山本五十六)
【やってみせ、言って聞かせて、無駄だった】苦しい胸のうちであった。筆者は戦後生まれであるが、戦前にあった「教育勅語」なるものが好きである。本誌第65号でも書いたが、過日一枚のチラシが手に入ったので、改めてこの文中の、十二の徳目について紹介したい。
【孝行】(親に孝行をつくそう)
【友愛】(兄弟姉妹は仲良くしよう)
【夫婦の和】(夫婦はいつも仲睦まじく)
【朋友の信】(友達は互いに信じて付き合う)
【謙遜】(自分の言動を慎もう)
【博愛】(広く全ての人に愛の手を)
【修学習業】(勉学に励み職業を身に着ける)
【智能啓発】(知識を養い才能を伸ばす)
【徳器成就】(人格の向上に努める)
【公益世務】(人、社会の為になる仕事に励む)
【遵法】(法律規則を守り社会の秩序に従う)
【義勇】(正しい勇気を持ち国の為に尽くす)
とまあ、こうである。固いことはよそう。
【夫婦相和し】など、我が家は?である。『だんないる?』と電話すれば、『いりません』と切られるかもしれない。
『父見すて 子供プレステ 母エステ』であり、『お買い物 ママはグッチで パパは愚痴』である。
【愚痴言うぞー】いや【グッチユウゾー】も、真っ青な川柳であった。
球春もすぐそこまで来ている。寒い冬が間もなく終わるが、寒さが厳しいほど、春の暖かさを恋い慕うものである。
【人肌の、恋しさつのる、カンの酒】カンとは、燗か寒か?(2005.1.21 安達馬鹿よネ)